『苦しみ』

夜も深まりましたので、重いお題にいどみます。

お寺にある地獄絵図をみたことはありますか?子供の頃、法事なんかにいくと「悪いことすると死んでからこんなところにいっちゃうんだよ。」なんて脅されるのです。
ひきつけそうになった子供をよそに「何世紀に描かれたものですか?」なんて大人は住職に聞きながら、その惨状をながめるのです。 
生きているひとに死後の世界は描けません。だとしたら、まったくの想像でしょうか?私にはそうとは思えない。あれはこの世、生きているひとの世界のことです。「私たちの生きてる世界ははじめからこういうところです、覚悟しなさい。」と解りやすく、デフォルメして描いているのだと思うのです。
人々は自然の猛威にさらされながら生きている。過酷な器のなかで食べ、眠り、子孫を増やすという性。欲望や嫉妬という潜在能力的なチップまで内蔵されてます。それなのに理性という本能とは相反する枷。それはまさに地獄です。そこには良いひとも悪いひともありません。みんなが平等に地獄に生きています。
昔なら解りやすい苦しみだったでしょう。そしてひとはかき集めた知恵と遺伝子としての愛で少しずつ克服してきました。自然には人工を、欲望にはルールを。地獄の住民として力をあわせてきたのです。
でもそれはかたちが変わったにすぎない。天然痘がなくなっても、新種のウィルスが現れるということです。生活全般に困ることがなくなると、目で見ることのできた絵図が見えない心のなかに潜んできます。苦しみは劇的に細分化され、ひとくくりにできない多様な力を持ちました。
だから苦しみからは逃れられない。針の山を素足で歩いていることにかわりはないのです。けれどもそれをやわらげる術はあるのだと思います。はじめから肯定することです。苦しくて当然、生きることは常に苦しいのだ、と。そしてそれは罪によるものではないのです。修行に近いのかも知れません。その正体に袖を引かれることなく歩く覚悟が必要です。
できれば、苦しみにあがいていてもとなりのひとに手をかしてあげたいと思う。その動作こそが一瞬の天国をもたらすものだと思うのです。
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by r_dew_1 | 2005-04-23 05:23 | A4  

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