『年金』

私の大きいおばあちゃんはほんの少ししかお金を持っていませんでした年金はなく、息子たちからのおこずかいが唯一の収入源。遺品の整理したとき、部屋のタンスから海苔の缶に詰め込まれたお米が出てきてみんなをびっくりさせました。更には輪ゴムでくくられた銭札の束。子供の私はおばあちゃんは大金持ちだと思いました。
昔はそんな老人が多かったのでしょう。子供が多くてもおこずかいをあてにするわけにはいきません。でくのぼうもいるからです。年金制度は救済の意味でつくられました。数百円足らずの掛け金からはじまったそうです。それは善意の行為、そして善意を想定し、その上に成り立つ行為です。「余生を送る人が人として人並の生活を維持できるように。」私はそう考えます。今、それを思うとき、ちょっと違うんじゃないかなぁ。という場面に多々、遭遇します。社会保険庁に関してはあきれてものが言えないので、ここでは言いません。
『年金』=『生活』。『生活の貪欲化』=『年金制度の崩壊』。
老いていくのは悲しくて、つらい。不安だらけです。そのストレスをお金で穴埋めしようとする。「働くだけ働いたんだ。」「自分たちは制度に従順だった。信じていた。」そういう武器を盾にあらゆる現代の至福を手にいれようとしているように思えてなりません。子供たちはおこずかいをあげるどころか、そのおこぼれに群がり過った敬い方を覚えます。自分の足で立てない子供たち。不憫に思う親たちは我が子の未来を守ろうと更にお金を貯め込みます。そうなってしまうと、たとえ日本がどんなに優秀な政府であったとしても補うことはできません。
これは誰のせいでもありません。強いて言えば、大きな集団から自然派生した悪い力のせいなのかもしれません。たぶんもう、若いひとの力では支えきれない。イマドキのことばでいえば、「無理。」ってやつです。若いひとは公的年金を見放しつつあります。貰えてもそれはおこずかいだと知っています。だから、最初に戻ります。自己責任のバクチを慎重に進めていくか、海苔の缶にお米を詰め込んでいくか、大きいおばあちゃんより大変なのは銭札さえ吸い取られてしまうということです。
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by r_dew_1 | 2005-05-23 16:34 | A4  

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