カタツムリ。

スポーツジムというのは行きはじめるとせっせせっせと通いつめるものだけれど、ひょんなことで間が空いたりすると、たるんたるん自覚に心を痛めながらもエントランスの人にやさしいはずの緩段差が飛び越えられなかったり、インストラクターの妙に健全風な笑顔とそれにそぐわないスネ毛を思い出しただけで腰が引けたりする。そう、肉体ではなく精神の筋力のほうがずっと衰えやすい。瞬発力も持久力ももっとどこか深いところから鍛えなければならないのかもしれないと薄々思っている。

そんな気持ちを押して出かけた梅雨の晴れ間。

ロッカー室で着替えをしていると、少し離れた奥の床に小指の先ほどのゴミが落ちているのが気になった。水気や毛髪が落ちるロッカー室は常にモップを持った清掃員が巡っていて退治するから、おおきなゴミはすぐに目に付く。
「今日は走るのはやめておこう。」などと考えながらも一応持ってきたアミノ酸ゼリーをズーズーと吸い込む。持久力を高めるタイプのお手伝いさんはガソリン臭くもなく、グレープフルーツ味で結構おいしい。なんならお手伝いさん5人分くらい飲んで絶大な持久力をパワーアップしてみようかとも思うがそういうものでもないらしい。身体は複雑なのだ。

と、
あれ?さっき見つけたゴミが足元にあった。

綿埃を運ぶほどの風もなかったし、着替えているあいだに人も来なかった。なんだろうと見ると、それはちいさなカタツムリだった。本物のカタツムリとの思わぬ場所での何年ぶりかであろう対面は私の心をほころばせた。
「梅雨なんだね。」
カレンダーの6の字にも、天気予報の梅雨前線パネルにも、「ジメジメ」と安直を連呼するキャスターのコンビニエンスな声にも伝えられない天然果汁の実感がみずみずしく口元からこぼれ落ちた。

小さいながらも誇り高く、ツンと突き立てているのは「ツノ」なのか、「ヤリ」なのかと考えながら、このカタツムリのすぐそこの未来を心配してみる。老眼の清掃員が持つモップの餌食になるか、足元など気にしないおしゃべりなママ仲間の固そうな踵に押しつぶされるか、運良く水を頼りに逃げおおせてもそこには塩素の大海が拡がっているに違いない。

とすれば、
このカタツムリの未来は私が握ってしまった。

人で言えば、このサイズのカタツムリは幼児くらいだと思う。縁や陰に沿って進むという用心深さがないように思えた。よく見ると渦巻きの殻も透き通っていて少しの力でくしゃりとつぶれてしまいそうだ。ますます放っておくことができなくなった。そんな思いとはうらはらに、我関せずとカタツムリは私の足元をもの怖じもせずに、「ツノ」だか「ヤリ」だかをますます突き立て通過しようとしている。

まず捕獲?
でも、どうやって?

人さし指を進行方向の床にぴったりと押しあてて待つと、迷いもせずに爪の先を伝って来てあっけなく捕獲。幼児のあまりにも脆い危うさに落胆。「あーあ、簡単にさらわれちゃうじゃん。」

指を浮かすとさすがに異変に気づいたらしく、動きが止まった。さてどうしたものかと乗せた指を止めると、カタツムリは、「ま、いっか。」みたいな気楽さで第2関節に向かってくる。ねっとりとした粘液と這う感覚が気持ち悪くて、おもわず振り落としたくなる。どうやら窮地に追い込まれているのは私の方らしい。

ふと見ると、転がっていたアミノ酸ゼリーの白いキャップがちょうどいいベビーカーになりそうだった。さっきの要領で移動させ、キャップを揺らすと「ツノ」も「ヤリ」も「アタマ」も溶けるように殻に吸い込まれていった。まぁ、強引に寝かしつけたということ。

小さなキャップに眠るカタツムリを慎重に持って館内を歩き、エントランスの生け垣の根元に移した。最後に屈託なく這っていくカタツムリを見送りたいとは思ったけれど、いつ起きるかもわからないのでペットボトルの水をかけて後にした。階段を上りながら、水を口に含む。相変わらずコントレックスは重くてまずいと思った。だから私は階段を一段抜かしで上っていった。
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by r_dew_1 | 2006-07-10 22:19 | A4  

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