秋味。

「上海経由できたんですけど、お買い物の途中お友達とはぐれちゃって...。ここって日本近海かしら?」
そのサーモンは見事な金刺繍のチャイナドレスをまとっていた。
「急いでますの。秋にはノルウェーの川に帰らなければなりませんの。でないと、このお腹のイクラちゃんが、父なし子になってしまう。」
「それは大変ですね。身重のあなたにこんなこと言いたくはありませんが、実はもう秋なのですよ。」
そういうとサーモンはハラハラと涙を流しはじめた。

魚の涙は珍しくない。
こうして日がな岩肌にへばりつき、行き交う潮流をながめているとさまざまな境遇の魚たちに出会う。
魚たちはみな急ぎ、泳ぎ続けているから、涙が粒にならないだけだ。

ときどきこんな風に潮流に迷った魚が声をかけてくる。
泳げなくなった老魚や、傷ついてまっすぐに進めなくなった魚、最近はもう魚などやめてしまいたいとわたしの頭上ばかりを回旋し続けているものもいる。

「上海はいかがでしたか?」
行き場を失ったサーモンにそう訪ねてみる。
「それはそれは活気があって、楽しくて。」
いまはもう後悔ではちきれそうなドレスのスリットをなびかせてそうサーモンは答える。

「なぜ上海に?」
「若かったのですね、異国の匂いを乗せてやたらと行き交うタンカーに憧れてしまいましたの。」
「ノルウェーは遠いのでしょう。」
「来るときはそう苦にはならなかったわ、でもいまはすっかり迷ってしまいました。このまま神様への責任も果たせずに死んでしまうなんて。」
「神様への責任?」
サーモンはお腹の辺りをゆるりとくねらせた。

その部分の鱗は透けてしまうように白く、角度によっては銀色に光っている。
神様は命には命を乗せる仕組みを決して忘れない。
どんな時代にも意味だけはひっそりと備えておく。

「もうすこし頑張れますか?ここをまっすぐに泳いでいくと、大きなコンブの森につきあたります。そこはとても険しいのですが、抜けると川につながるといいます。わたしが行きあう魚たちから聞いた話です。」

          ***

身重のサーモンは潮の流れとは真逆のコンブの森の方向に泳いでいく。それはとても遅々としていて哀れなほどだ。
脱ぎ捨てられ、さっきまで岩にからんでいた金刺繍のチャイナドレスがほどけてそれよりはやく潮に乗って流れていった。
潮流はただ銀の鱗のためだけに流れている。
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by r_dew_1 | 2006-11-02 15:19 | A4  

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