大切な時計

ウチの時計は古いねじ巻き式の柱時計。

夫が生れる前からあったものです。
亡くなったおばあちゃんが踏み台に乗ってきりきりと巻いている姿を思いだすといいます。夫はおばあちゃんに育てられたので、その背中を見ているのでしょう。

実家の物置きに転がっていたのを見つけ、オーバーホールして使っています。
持ち込んだ時計屋さんは「すごくいい時計ですね、音を鳴らす線が2本あって珍しいです。今ではほとんど見ません大切にしてください。」と丁寧に渡してくれました。
実はうち1本は折れていたそう。手づくりの部品で直してくれたのでした。
驚くことに誰も折れていたことを知らず、完璧な音を聞いたことがなかったのです。

どうやらひとつめの音が鳴り出しを、ふたつめの音が鳴り締めを担当しているようで、ようやく完璧な仕事ができるようになったわけです。
それはめりはりのある澄んだ素敵な音でした。

今は慣れてしまったのでしみじみと耳をかたむけることはありませんが、
おかしなものでこれはこれで都合良く、便利に使っています。
「あれっ、もう3時か。」なんて耳で判断しているのです。
必要ないときはなぜか聞こえません。雑音にはならないのです。

夫は週1回、4と8のところにある穴にねじを差し込み、同じ回数を巻きます。
忘れっぽく、面倒くさがり屋なのになぜかこれだけは忘れないし、
私に頼むこともありません。
出張前はあらかじめ巻いていくほどです。だからめったなことでは止まりません。

『あなたが死んだらきっと泣く。
けど、この時計が数日して止まっているのを見たら、もっともっと泣くと思うよ。』

夫はにやりと笑うのでした。
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# by r_dew_1 | 2005-05-02 03:22 | A4  

トホホ。

「洗濯、してたんだった。」
最近のつぶやき語録上位。

今日もそう。
朝いちばん、洗濯機をまわして掃除に取りかかる。
掃除しながら考える。そうだ、シーツも洗っとこう。
ベットからはがしたシーツや枕カバーを丸めて、第2弾に備える。

ピーピーピー。洗濯機が終了の合図。
まだ掃除機と格闘中。返事だけする。はいはいはい。
するとなったら、掃除は念入りだ。
ソファもテーブルも動かせるものはみんな動かす。
ベットだってそうだ。ついでに新しいシーツをかける。
床なんかも磨く。今日は手拭きでゴシゴシやる。

さすがに疲れる。
でも、買い物も早めに済ませておきたい。
最後のトイレが終わったら、出かけよう。

トイレ終了。ペーパー予備補充OK。
買い物に出かける。
キャベツやら、牛乳やら、甘夏やら、なんでこんなに重いんだ。
へとへとに拍車がかかる。

すこし横になる。
鼻のない子象のテレビに涙する。

夕方の気配。ベランダに目をやる。
「洗濯してたんだった!」
洗面所に駆け込む。丸められたシーツ。洗濯槽にへばりついた第1弾。

洗濯機はいう。
「お返事だけはお上手でした。残念。」
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# by r_dew_1 | 2005-05-01 01:22 | A4  

『バランス』

でぶっちょ君とがりがり君、仲良しのふたりがシーソー遊びをしています。
だけど、おもしろくありません。シーソーの板はななめに傾いたままで少しも動かないからです。がりがり君はすっかりプライドが傷ついてしまい、足をばたばたさせます。
でぶっちょ君も同じです。腰を浮かせてみるもののむなしさばかりがつのります。
ふたりが求めているのはバランスです。
バランスのなかから生まれるものは何でしょう。会話、表情、感覚、同じ目線の分かち合い。必ずしも平等ではないもの同志がそれを望むとき、それには努力も必要です。この場合、でぶっちょ君は前へ移動し、がりがり君はふたりで集めた小石の袋を抱えることにしました。ちょっぴり体勢は悪いけれどかしこいふたりは個々の心バランスもまた、きちんととれているのでした。それは思いやりであり、知恵であり、夢をかなえる力です。
体勢の悪さを犠牲ととらえた場合はどうでしょう。どのくらい自分が不快で我慢を強いられているかを訴えあう。シーソー遊びどころではありません。結局論破されたほうが大きな傷を背負うことになります。まったくの敗者として傷ついた心で集めた小石をもとの場所へと戻すのです。
世間では富の集中、貧富の格差の拡大が叫ばれています。でもそれは目に見えることで、それ以上に見えない心の索漠さの蔓延が問題です。貧しかったら安い酒を飲み、分かち合い、肩をよせあい、語りあう。溝をうめる素材はひとつではありません。そこで束になって育つ子供たちは戯れあいのなかで傷の痛みや程度、主張の駆け引き、得意分野の目覚めを実践で学び、将来また違ったアイデンティティで良質の富をもたらし、還元の意味を知るのだと思うのです。本当はそれが一番楽で有効な育て方かもしれません。今の日本では難しいですね。子供時代は大人時代のシュミレーションですから手厚い庇護だけでは嘘つきのシーソー遊びです。だからといって市販のレールに乗せることが親の仕事でもありません。教育は学校や塾の仕事ではないからです。学校や塾は預かった子供に勉強はさせても毒は飲ませません。高級な託児所のようなものです。社会は毒の宝庫です。毒の免疫や扱い方、解毒の方法は親がつけていくしかないのです。それは本当に大変なことです。ここでも親のバランスが問われます。いきなり、致死量を与えてしまう。傾いたシーソーがそうさせるのです。まずはふたりで小石を集めることです。あきらめてはいけません。地道な作業が親の愛です。でもそれは無償ではありません。親ならわかっているはずですね。彼らは先行投資というかたちで親に無類の喜びを与えてるのですから。それでもお手軽な滅菌パックで育てるつもりであるなら、なりふりかまわずお金を稼ぐことです。そしてひ孫の代まで楽に暮らしていける巨万の富を残してあげることです。
そうすれば、執事たちがきっと楽しいシーソー遊びにつきあってくれるに違いありません。
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# by r_dew_1 | 2005-04-30 23:40 | A4  

言葉のお守り

「おばあちゃん、しまないでね。」
母はこの言葉をいつも大事そうにポケットにしまいこんでいます。

遊びに来た孫が帰りがけに言ったひとこと。
『しまないで』というのは、『死なないで』ということです。

そのときの母は健康そのものでぴんぴんしていましたし、
他の大人たちがあぜんとしている意外な反応に、彼は幼いながらも
「あれ?ぼく、変なこと言っちゃった?」という顔をしていたのでした。
けれども母だけは違っていて、彼をきつく抱きしめながら
「ありがとね、ありがとね、おばあちゃんがんばるからね。」と
何度も何度もその頭を撫でたのでした。
 
それはなんだかとてもコテコテでしたが、
見ていると微笑ましくて、額縁をつけてとっておきたいような光景でした。
宙を舞っていた彼の瞳は母の腕のなかで徐々に輝き、
手を振って別れるときには満塁ホームランの自信さえ身につけていたのでした。

今となっては笑い話。
母も相変わらず元気なおばあちゃんですし、
彼にいたっては成長著しく、滑舌だって『ママ』から『かあさん』へ。

それでも母はその言葉をポケットから取り出してはながめているのです。
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# by r_dew_1 | 2005-04-28 20:37 | A4  

『苦しみ』

夜も深まりましたので、重いお題にいどみます。

お寺にある地獄絵図をみたことはありますか?子供の頃、法事なんかにいくと「悪いことすると死んでからこんなところにいっちゃうんだよ。」なんて脅されるのです。
ひきつけそうになった子供をよそに「何世紀に描かれたものですか?」なんて大人は住職に聞きながら、その惨状をながめるのです。 
生きているひとに死後の世界は描けません。だとしたら、まったくの想像でしょうか?私にはそうとは思えない。あれはこの世、生きているひとの世界のことです。「私たちの生きてる世界ははじめからこういうところです、覚悟しなさい。」と解りやすく、デフォルメして描いているのだと思うのです。
人々は自然の猛威にさらされながら生きている。過酷な器のなかで食べ、眠り、子孫を増やすという性。欲望や嫉妬という潜在能力的なチップまで内蔵されてます。それなのに理性という本能とは相反する枷。それはまさに地獄です。そこには良いひとも悪いひともありません。みんなが平等に地獄に生きています。
昔なら解りやすい苦しみだったでしょう。そしてひとはかき集めた知恵と遺伝子としての愛で少しずつ克服してきました。自然には人工を、欲望にはルールを。地獄の住民として力をあわせてきたのです。
でもそれはかたちが変わったにすぎない。天然痘がなくなっても、新種のウィルスが現れるということです。生活全般に困ることがなくなると、目で見ることのできた絵図が見えない心のなかに潜んできます。苦しみは劇的に細分化され、ひとくくりにできない多様な力を持ちました。
だから苦しみからは逃れられない。針の山を素足で歩いていることにかわりはないのです。けれどもそれをやわらげる術はあるのだと思います。はじめから肯定することです。苦しくて当然、生きることは常に苦しいのだ、と。そしてそれは罪によるものではないのです。修行に近いのかも知れません。その正体に袖を引かれることなく歩く覚悟が必要です。
できれば、苦しみにあがいていてもとなりのひとに手をかしてあげたいと思う。その動作こそが一瞬の天国をもたらすものだと思うのです。
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# by r_dew_1 | 2005-04-23 05:23 | A4  

教科書

入学式を終えて、真新しいランドセルで
新一年生たちの通学がはじまりました。

それぞれに配られるはじめての教科書。
そのことがちょっぴりお姉さんになったみたいで
くすぐったいような嬉しさにときめいたものです。

その教科書。
誰がどうやって、どんなふうにつくっているのか
そんなことが問題になっています。

与えるべき知識の量や質。
グローバルな視点からの自分たちの位置づけ。
大人の迷いやとまどいに子供たちの成長は待ってくれません。

国債の大量発行で莫大な借金を背負わせ、
なおかつ、教育の礎さえ与えられない。

君たちの安全を祈るみどりのおばさんだって、
きっと肩身が狭いでしょう。

波乱含みの学びの地図を、
ランドセルいっぱいにつめこんで走る。
そんな健気な君たちに、
昔、子供のおばさんはどうしていいかわからなくなってしまいます。
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# by r_dew_1 | 2005-04-16 03:08 | A4  

パソコンができない!?

私にはかわいい甥っこがいる。

両親が急用で甥っこ宅に泊まったとき、
おもしろいサイトがあるからと、インターネットがはじまった。

にせドラエモンのへんな絵描き歌とかそういった類いの
いかにも小学生が喜びそうなもの。

「やってみて、やってみて。」という言葉に
マウスを操作する。
はじめてのウィンドゥズ。
私のPCはマックなのでうまくクリックできない。

何度も何度も失敗してしまい、挙げ句、
「パソコンできないんだ。」と
同情されてしまった。

最近の大学はマックユースが多いとのこと。
彼が行く大学がマックであって欲しい。そう、願うばかりだ。
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# by r_dew_1 | 2005-03-25 20:54 | A4  

サイパンダの教訓

先週I坊が海外出張のためにスーツケースを取り出して開けると、
サイパンダがでてきた。
サイとパンダでサイパンだ〜。のサイパンダ。
サイパンキャンペーンのキャラクター。15㎝くらいのぬいぐるみ。

あのときは気にもとめなかったけど、
よくみると、これってすごいよ。
まわりのくまだけで、目がないの。
そしてとんがった黄色の鼻。サイの角が鼻になっちゃった訳。

かわいくも、可笑しくも、こわくもないけど、変な顔だ。
しんみりとさせる変な顔。
デジカメはI坊が持って行ったし、あったとしても私には使えそうにない。

瞳がないので盲目っぽくてせつない。
だけど上向きかげんのピノキオ鼻が生意気なかんじ。

これは目のパターンを自作してくっつけてあげよう。と思い、
さっそく紙でつくってみる。
な〜んだ。こうやってあそぶのかぁ。
さんざん笑った後、

遺伝子操作ってダメだな。って思った。


 
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# by r_dew_1 | 2004-07-19 21:16 | 折々。  

69個のレモン

今日もあっつい。
夏になるとビタミンCのサプリメントを摂取。なぜだかそういう習慣。
気分的な要素大なので、メーカーも成分も気にせず目についたものを
買ってくるんだけど、必ずといっていいほど書いてあるのが
『レモン〜個分』ってゆーやつ。アメとかにも書いてあるよね。
今のはレモン23個分。
一日3粒目安なので、69個分。
水溶性なので不必要な分は排出されるそうだけど、

それにしても69個のレモン。

ひと夏90日として6210個。
6210個のレモンが私の夏を支えているのね。
もしも日本が未曾有の大恐慌に襲われて、サプリメントが入手困難になったら、
6210個のレモンを求めてレモン農場を訪ねなければなりません。
そしてレモン奴隷となり、残りの半生をレモンに捧げるのです。

。。。さておき、
そういう表示って食物繊維やビタミン系ばかり。
『マグロの目玉23個分のDHA』とか『豚レバー3頭分の鉄分』
なんてないのかしら。

ひと粒で一日の摂取量を軽く超えるのに
それでも栄養補助食品なのも府に落ちない。

摂ってる私がいうのもなんだけど、
あやしいぞ、サプリメント。
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# by r_dew_1 | 2004-07-18 19:15 | A4